大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所小樽支部 平成9年(ワ)59号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金三四二万二九〇三円及びこれに対する平成九年六月二一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一  事案の概要

本件は、損害保険会社である原告が、信用組合である被告に対し、原告の損害保険代理店である訴外矢野建設工業株式会社(以下「矢野建設工業」という。)が被告余市支店に開設した預金口座中の預金の払戻を請求するものである。

これに対し、被告は、原告の請求に係る預金債権(以下「本件預金債権」という。)は矢野建設工業のものであると主張する。

本件の争点は、本件預金債権の帰属である。

第二  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第三  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は損害保険会社である。被告は信用組合である。

2  矢野建設工業は、原告の損害保険代理店であり(以下、損害保険代理店を単に「代理店」ということがある。)、被告余市支店に「富士火災海上保険(株)代理店矢野建設工業(株)矢野繁樹」名義の普通預金口座(以下「本件預金口座」という。)を開設した。

本件預金口座は、損害保険代理店が所属保険会社のために保険契約者から収受した保険料を自己の財産と明確に区別して保管するために開設するいわゆる専用口座である。

本件預金口座には、平成九年五月六日当時、矢野建設工業が原告のために収受した保険料等合計三四二万二九〇三円が預け入れられていた(以下「本件預金」という。)。

3  本件預金口座の名義である「富士火災海上保険(株)代理店矢野建設工業(株)矢野繁樹」は、一般常識、日常の経済取引ないし銀行取引の実務上、原告を表示するというべきである。したがって、本件預金口座の名義人は原告であり、本件預金口座が原告のために開設されたものであることは形式的にも明白である。

4  預金について出捐者、預入行為者、口座名義人が異なる場合に、これらの者のいずれを預金者とみるべきかという問題については、自らの出捐により自己の預金とする意思で銀行に対して自ら又は使者・代理人を通じて預金契約をした者が預金者に当たるというべきである。そして、右基準により預金者と認定された者は、出捐者、預入行為者、口座名義人の間のみならず、銀行との間でも預金者であることを主張し得るというべきである。なぜならば、銀行と預入行為者との間で預金契約が締結されたにすぎない時点では、銀行は預金者が誰であるかにつき特別の利害関係を有しないから、預入行為者と出捐者との間では出捐者を保護すべきであり、銀行は、預金債権に担保の設定を受け、又は右債権を受働債権として相殺する予定のもとに新たな貸付をするなどして、その預金を目的とした新たな取引関係に入った場合に、銀行取引約定上の免責規定又は民法四七八条の類推適用により保護すれば足りるからである。

そこで、本件預金の原資を出捐した者は誰であるかが問題となるが、本件預金は矢野建設工業が原告の代理店として原告と保険契約を締結した第三者から収受した保険料を原資とするものであるところ、右保険料は、後記(一)のとおり、矢野建設工業が収受した時に原告に帰属したものであること、原告は、後記(二)のとおり、代理人である矢野建設工業を通じて保険料を代理占有し、本件預金口座を実質的に管理していたことからすると、本件預金の原資の出捐者は原告というべきである。

被告は、本件預金口座の預金通帳及び印鑑を矢野建設工業が所持していることを理由として、本件預金の原資の出捐者は矢野建設工業であると主張する。預入行為者が預金通帳及び印鑑を所持していることは、当該預金の出捐者であることを推測させる極めて重要な証拠であるが、本件においては重要ではない。なぜなら、矢野建設工業は、原告と保険契約者との間の大量の保険契約を迅速適切に締結し、その処理をする原告の代理人である以上、預金通帳及び印鑑を矢野建設工業が所持することは当然のことであり、原告がそれらを所持することはあり得ないからである。

また、被告は、矢野建設工業が保険契約者から保険料を収受した時点で金銭所有権は矢野建設工業に移転しており、保険料は現実には一度も原告の手に渡ったことがないことからすると、本件預金の原資の出捐者は矢野建設工業であると主張する。しかし、預金の原資の出捐者の認定は、金銭所有権の移転という形式的な面からすべきではなく、実体的な出捐者は誰かという実質的な面からすべきである。矢野建設工業には、金銭の占有が保険契約者から移転したということ以外に経済的実体を伴った出捐がなく、矢野建設工業は本件預金の原資の出捐者に当たらないというべきである。

(一) 代理店が収受する保険料は保険会社の保険責任の対価であり、保険会社の保険責任は代理店が保険料を収受した時から発生するのであるから、保険料は代理店が収受した時に直ちに保険会社に帰属する。したがって、矢野建設工業が原告名義の領収書を発行して保険契約者から保険料を収受した時に、保険料は原告に帰属したというべきである。なお、矢野建設工業は、本件預金口座に入金された保険料について、原告に帰属すべき金銭との認識を有していたのであり、矢野建設工業に帰属するものとの認識は有していなかった。

本件預金口座の中に、矢野建設工業が取得すべき代理店手数料や利息が含まれているとしても、それは単に原告と矢野建設工業との間の精算の問題にすぎない。

(二) 代理店は保険契約の締結権を有し、代理店が保険料領収書を保険契約者に交付した時点で保険会社は保険金支払の責任を負う。したがって、保険会社が保険金支払の責任を負いながら保険料を確実に取得しないということがあれば、保険制度そのものが崩れるといっても過言ではない。そこで、代理店が保管中の保険料を流用し保険会社が保険料を取得することができない事態が生ずることを防止して保険会社を保護するために、代理店が保険契約者から収受した保険料の保管方法等について、保険募集の取締に関する法律(昭和二三年法律第一七一号、平成七年法律第一〇五号により廃止。以下「募取法」という。)、同法施行規則(昭和二三年大蔵省令第九七号、平成八年大蔵省令第五号により廃止)、損害保険代理店委託契約等により、以下の(1)ないし(5)のとおりの厳しい規制が加えられている。これらの規制により、代理店は自己の財産と保険料とを明確に区分して保管しなければならないとされ、また、別途預貯金(専用口座に入金された預貯金)の引出しが制限されていることなどからすると、原告は、代理人である矢野建設工業を通じて保険料を代理占有し、本件預金口座を実質的に管理していたというべきである。

(1) 募取法一二条一項、二項、同法施行規則五条一項、三項及び原告と矢野建設工業との間で締結された損害保険代理店委託契約(以下「本件代理店契約」という。)六条により、代理店は自己の財産と明確に区分して保険料を保管しなければならないとされている。このことは、専用口座内の預貯金が保険会社に帰属する一つの根拠となると思われる。

(2) 募取法施行規則六条により、別途預貯金の引出しにつき制限が加えられていることは、それが保険会社に帰属することの有力な根拠となると思われる。

(3) 募取法施行規則七条により、収支明細表の備置義務が課されていることは、それだけでは別途預貯金が保険会社に帰属することを示す根拠となり得ないが、別途預貯金口座と収支明細表とを照合するならば、それは一致するであろうから、代理店の固有財産と区別することが可能となる。

(4) 社団法人日本損害保険協会の損害保険募集関係規定のうちの事務処理関係事項1保険料の保管(昭和五四年七月二日協募第七九-三七号。以下「本件事務処理規定」という。)(5)により、別途預貯金の種類について制約が課されていることは、間接的ながら、別途預貯金が保険会社に帰属することを示している。

(5) 本件代理店契約九条は、保険料の精算について代理店手数料を控除して支払うこととしているが、このことから別途預貯金が代理店に帰属するものとなるわけではなく、代理店手数料を含めた保険料全部が未精算の段階でも保険会社に帰属すると解される。なお、代理店は利息を取得することができるが、その額は一般的にはわずかであり、極めて多数の代理店についてその回収を行うことは煩瑣な手続を要するので、保険会社と代理店との委任契約上いわば口座管理の対価として認められていると解するのが相当であり、代理店が利息を取得することから代理店に預金が帰属すると解することはできない。

(6) 募取法は平成七年法律第一〇五号による保険業法の全部改正に伴って廃止されたが、「損害保険会社の業務運営について」と題する大蔵省通達(平成八年四月一日蔵銀第五二五号。以下「本件通達」という。)により、代理店は保険料を従前どおりの方法で保管することとされている。

5  以上のように、本件預金口座の名義人及び本件預金の原資の出捐者は、いずれも原告であることからすると、本件預金債権は原告に帰属するというべきである。

6  被告は、平成九年五月六日、被告の矢野建設工業に対する債権と本件預金債権とを相殺したが(以下「本件相殺」という。)、右相殺は受働債権の不存在により無効である。

原告は、平成九年五月七日ころ、被告に対し、本件預金の払戻を請求した。

よって、原告は、被告に対し、本件預金三四二万二九〇三円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成九年六月二一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実は認める。本件預金口座の開設申込は「富士火災海上保険(株)代理店矢野建設工業株式会社矢野繁樹」なる名義でされた。

3  請求原因3は争う。「富士火災海上保険(株)代理店矢野建設工業(株)矢野繁樹」中の「富士火災海上保険(株)代理店」は肩書である。「富士火災海上保険(株)代理店矢野建設工業(株)矢野繁樹」は、矢野建設工業を表示するものであって、原告を表示するものではない。

4  請求原因4の事実は否認し、原告が本件預金の原資の出捐者であることは争う。

(一) 預金債権は預金の原資の出捐者に帰属するのであるが、出捐とは一方の損失と他方の利益とが結合する場合であって、金銭の出捐とは金銭の占有の移転すなわち所有の移転を意味するところ、矢野建設工業が保険料を収受する過程において原告が金銭の占有を取得する機会は皆無であって、原告は金銭の占有すなわち所有を被告に移転した者ではないことは明らかであるから、原告は本件預金の原資の出捐者には当たらない。そして、〈1〉本件預金口座を開設したのは矢野建設工業であり、矢野建設工業が預金通帳を保管し、単に「矢野」と表示された丸印を届出印として、これを用いて預金の出納をしていたこと、〈2〉金銭の場合は占有の移転がすなわち所有権の移転であって、矢野建設工業が保険契約者から保険料を収受した段階では矢野建設工業にその所有権が帰属し、矢野建設工業がこれを被告に移転して預金したことからすると、本件預金口座を開設し、本件預金の原資を出捐した者は矢野建設工業というべきである。

(二) 請求原因4(一)につき、矢野建設工業と原告とは独立の営業主体であり、本件預金口座には矢野建設工業が収受し原告に送金すべき保険料が振り込まれるが、原告と矢野建設工業との間の精算手続を残しているし、また、本件預金口座には、原告への送金分のほかに、保険契約者への返金分、代理店手数料分、預金利息分等が混在しているのであるから、本件預金口座に存する資金が原告に帰属しているとは断定できない。

原告は、保険料は保険会社の保険責任の対価であって、保険会社の保険責任は代理店が保険料を収受した時から発生するのであるから、保険料は直ちに保険会社に帰属するものであると主張するが、精算の手続が残る以上、直ちに預金債権が保険会社に帰属するとはいえないのであって、保険会社が保険責任を負う時点の問題と預金の帰属問題とは別個の問題である。保険料を代理店が収受したのと同時に当該金銭が保険会社に帰属すると帰結することは、金銭の占有者と所有者とは一致するという原則を無視するものである。

(三) 請求原因4(二)につき、募取法等による規制は専用口座の預金が保険会社に帰属する直接の根拠にはならないと解される上、募取法はすでに廃止されており、本件通達及び本件代理店契約の効力は被告に及ばない以上、原告の主張は根拠を欠くものである。

原告は、従前の根拠法規である募取法一二条が廃止され、保険業法には代理店の保険料保管方法に関する規定がないことを前提としながら、本件通達の内容が従前の方法と異ならないことをもってその主張の根拠としている。しかし、通達は、上級行政庁がその内部的権限に基づいて下級行政機関及び職員に対して発する行政組織内部における命令にすぎず、法規ではないから、人民の権利義務を直接定めるものではなく、人民はこれに拘束されず、裁判所は通達に示された法令の解釈に拘束されない。本件通達は、保険料の流用、費消等の不祥事故や現金事故の防止のために損害保険代理店委託契約の当事者である保険会社及び代理店を事実上拘束するにすぎず、第三者である金融機関等が拘束される理由はない。

専用口座により保険料の保管をする方法は、募取法が廃止された現在においては、保険会社と代理店との合意にゆだねられているものであり、本件代理店契約の内容として原告と矢野建設工業との間において預金債権者がいずれであるかなどを合意することは当事者の自由であるが、契約である以上、右合意は当然には第三者である金融機関等を拘束する根拠とはならない。

廃止された募取法により保護された専用口座の名のもとに保険会社が代理店名義の専用口座の預金債権者であることを金融機関等が認めなければならないとするならば、保険会社以外の会社が代理店名義の専用口座を開設して自己の取引債権の保護を求めることをも許容せざるを得ないことになり、取引界に多大の混乱を招きかねない。

5  請求原因5は争う。本件預金口座の名義人及び本件預金の原資の出捐者は、いずれも矢野建設工業であって、本件預金債権は矢野建設工業に帰属するものというべきである。

6  請求原因6のうち、被告が本件相殺の意思表示をしたこと、原告が、同月七日ころ、被告に対し、本件預金の払戻を請求したことは認め、本件相殺が受働債権の不存在により無効であることは争う。

第四  証拠(省略)

理由

一  請求原因1、2の事実及び請求原因6の事実のうち、被告が本件相殺の意思表示をしたこと、原告が本件預金の払戻を請求したことは、いずれも当事者間に争いがなく、右事実に、いずれも成立に争いのない甲第一ないし第六号証、第九、第一三号証及び証人酒巻哲雄の証言を総合すると、以下の事実を認めることができる。

1  原告は損害保険会社であり、被告は信用組合である。

2  矢野建設工業は、昭和五二年一二月九日、原告との間で本件代理店契約を締結し、原告の損害保険代理店となった(甲第四、第一三号証、証人酒巻の証言)。

3  矢野建設工業は、昭和六一年六月一九日、おなまえ欄に「富士火災海上保険(株)代理店矢野建設工業株式会社矢野繁樹」と記載され、届出印欄に「矢野」と刻された丸印が押捺された普通預金申込書兼印鑑票を作成提出し、被告余市支店に「富士火災海上保険(株)代理店矢野建設工業(株)矢野繁樹」名義の普通預金口座(本件預金口座)を開設した(甲第九号証、証人酒巻の証言)。

本件預金口座は、損害保険代理店が所属保険会社のために保険契約者から収受した保険料を自己の財産と明確に区別して保管する目的で開設するいわゆる専用口座である。

本件預金口座には、平成九年五月六日当時、矢野建設工業が原告のために収受した保険料及びこれに対する利息合計三四二万二九〇三円が預け入れられていた。

4  矢野建設工業の損害保険代理店業務は、以下のとおりの手順で行われていた(甲第四、第一三号証、証人酒巻の証言)。

まず、矢野建設工業は、原告を代理して、保険契約者と保険契約を締結し、保険契約者から保険料を収受した上、原告名義の領収証を作成交付する。矢野建設工業は、保険料として収受した金銭を他の金銭と明確に区別するため専用の金庫ないし集金袋で保管しており、右保険料と他の金銭を混同したことはなかった。

次に、矢野建設工業は、保険契約者から収受した保険料を本件預金口座に入金する。前記のとおり、矢野建設工業は、保険料を専用の金庫ないし集金袋で保管していたため、保険契約者から受領した金銭そのものが被告に預け入れられた。矢野建設工業が本件預金口座に保険料以外の金銭を入金したことはない。

原告は、毎月一五日ころ、前月分の集計結果に基づく保険料請求書を矢野建設工業に送付する。この保険料請求書には矢野建設工業の前月分の代理店手数料の額が明記されており、矢野建設工業はこの段階に至って初めて前月分の代理店手数料の正確な額を知り得る。

矢野建設工業は、毎月二〇日ころ、本件預金口座に預け入れてあった前月分の保険料全額の払戻を受け、原告から送付された保険料請求書に記載された代理店手数料相当額を差し引いた上で、残りの金銭を原告に送金する。

5  矢野建設工業は、平成九年四月七日に第一回目の不渡を出し、さらに、同年五月六日には第二回目の不渡を出すことが確実となった。そこで、矢野建設工業の損害保険代理店業務の担当者(事務取締役)であった酒巻哲雄は、同日、原告小樽支社長に本件預金口座の通帳及び届出印を交付した(甲第一三号証、証人酒巻の証言)。

被告は、平成九年五月六日、被告の矢野建設工業に対する債権と本件預金債権とを相殺する意思表示をした。

原告は、平成九年五月七日ころ、被告に対し、本件預金の払戻を請求した。

6  本件代理店契約には、以下のとおりの定めがある(甲第四号証)。

(一)  委託業務

矢野建設工業は、原告を代理して、保険契約の締結、保険料の領収、保険料領収証の発行等の業務を行う(一条一項)。

矢野建設工業は、会社が制定した諸規則その他会社の指示する事項に違反して業務を行ってはならない(同条二項)。

(二)  保険料の保管

矢野建設工業は、領収した保険料を原告に納付するまでは、募取法の定めるところに従い、これを自己の財産と明確に区分して保管し、他に流用してはならない(六条)。

(三)  保険料の精算

矢野建設工業は、原告のために領収した保険料から代理店手数料を控除した残額を、遅滞なく、原告に納付しなければならない(九条一項)。

前項の規定にかかわらず、矢野建設工業は、あらかじめ原告の承認を得て、原告が毎月の締切日現在をもって作成する代理店勘定請求書により、原告のために領収した保険料から代理店手数料を控除した残額を、翌月末日までに原告に納付する方法により保険料の精算を行うことができる(同条二項柱書本文及び二号)。

(四)  帳簿等の備付け

矢野建設工業は、収支明細表その他委託業務に関する帳簿を備え、かつ、これらに必要事項を明確に記載するとともに、関係諸記録を整理保管しなければならない(一二条一項)。

7  本件事務処理規定には、以下のとおり定めがある(甲第五号証)。

(一)  代理店は、契約者から領収した保険料の全額を自己の財産と明確に区別し、遅滞なく別途に預貯金するか、又は所属保険会社へ送金しなければならない(一条)。

(二)  別途預貯金口座の種類については、収入・返戻保険料の遅滞ない預入・払戻等保険料の翌月精算に支障をきたさないものであることを要するため、普通預金等の流動性預貯金でなければならない(五条)。

(三)  別途預貯金口座の名義は、所属保険会社名を店主名の肩に記載したものとしなければならない(六条柱書及びイ号)。

(四)  別途預貯金は、所属保険会社に対して送金する場合、契約者に対して保険料を払戻する場合、自己の手数料に充てる場合、利息を自己の所得とする場合、その他所属保険会社の指示による場合以外に払い戻してはならない(一〇条)。

8  募取法及び同法施行規則には、以下のとおりの定めがあった。

(一)  損害保険代理店は、所属保険会社のために収受した保険料を保管する場合においては、自己の財産と明確に区分しなければならない(募取法一二条一項)。

前項の保険料の保管に関して必要な事項は、命令でこれを定める(同条二項)。

(二)  損害保険代理店は、所属保険会社のために保険料を収受したときは、遅滞なく、これを所属保険会社に送金し、又はこれを郵便官署銀行その他預金若しくは貯金の受入をなす機関に預入しなければならない(募取法施行規則五条一項)。

第一項の預金又は貯金は、当該損害保険代理店の有するその他の預金又は貯金と別口座としなければならない(同条三項)。

(三)  前条の預金又は貯金は、所属保険会社に対して送金するため払い戻す場合(一号)、保険契約者に対して保険料を返戻するため払い戻す場合(二号)、損害保険代理店の受けるべき手数料、報酬その他の対価に当てるため払い戻す場合(三号)、当該預金又は貯金の利息を払い戻す場合(四号)、その他所属保険会社の指示による場合(五号)の外、これを使用することができない(募取法施行規則六条)。

(四)  損害保険代理店は、所属保険会社のために収受した保険料等につき、収支明細表を備え置かなければならない(募取法施行規則七条)。

9  募取法及び同法施行規則は、平成七年法律第一〇五号による保険業法の全部改正に伴って廃止されたが、本件通達は、「損害保険会社は、所属代理店に対して、代理店が収受した保険料等を自己の財産と明確に区分するよう指導するものとする。また、代理店が受領した保険料については、受領後遅滞なく所属保険会社に送金し、又は別途専用の預貯金口座に保管させ、遅くとも保険会社における保険契約の計上月の翌月末までには精算させることとし、保険料の流用、費消等の不祥事故や現金事故の防止に万全を期するものとする。」と定めている(甲第六号証)。

二  以上を前提として、本件預金債権の帰属について判断する。

1  契約上の権利が何人に帰属するかは当該契約により定められるべきであって、当該契約の当事者ないし当該契約により指定された者が権利者となるのが通常であるところ、このことを預金契約に推し及ぼすのであれば、預金債権は預入行為者ないし預金名義人に帰属すると考えるのが素直である。しかし、預金契約の場合、銀行等は預金契約締結時においては預金者が何人であるかについて格別の利害関係を有しないのであるから(このことは本件のような記名式預金の場合にも異ならないと考えられる。)、預金の原資を出捐した者の利益を保護する観点から、右出捐者が預金者として預金債権の帰属主体になると解するのが相当である(最高裁判所昭和三二年一二月一九日第一小法廷判決、民集一一巻一三号二二七八頁、最高裁判所昭和四八年三月二七日、民集二七巻二号三七六頁、最高裁判所昭和五二年八月九日、民集三一巻四号七四二頁等)。

そこで、以下では、本件預金の原資の出捐者は誰であるかについて検討することにする。

2  本件預金の原資の出捐者について

(一)  矢野建設工業は、原告を代理して保険契約の締結、保険料の収受、保険証券の交付並びに保険料領収証の発行及び交付等の業務を行うことを原告から委託され、これを承諾した、いわゆる締約代理商であり(本件代理店契約一条―項)、原告と矢野建設工業との間には委任関係が成立しているというべきである。

しかして、本件預金の原資である、矢野建設工業が原告を代理して保険契約者から収受した保険料(以下「本件保険料」という。)を保管するに際して、矢野建設工業は他の金銭と明確に区別するために本件保険料を専用の金庫ないし集金袋で保管していたというのであって、矢野建設工業が本件保険料を他の金銭と混同して保管した事実は存しないことにかんがみると、本件保険料は、矢野建設工業の所持する他の金銭との間においては、未だ具体的な特定性ないし識別性を維持しており、封金と同様の性質を有していたというべきである(矢野建設工業が各保険契約者から収受した保険料を前記金庫等で一括して保管していたために、複数存在する保険契約者のうちのどの者から収受した保険料であるか具体的に特定識別することができない状態にあり、本件保険料の内部関係においては封金と同様の性質はすでに失われていたとしても、本件保険料と矢野建設工業が所持する他の金銭とを截然と区別することができたという限度では、本件保険料は全体としては封金と同様の性質を有していたというべきである。)。

このように、本件保険料については、封金と同様に、通常の物(動産)としての取扱いをすることができるところ、前記のとおり、矢野建設工業は、本件代理店契約上、原告を代理して本件保険料を収受する権限を授与されていたのであるから、保険契約者が原告のために矢野建設工業に対して本件保険料を支払い、受任者たる矢野建設工業がこれを収受したことにより、本件保険料の所有権は、直ちに委任者たる原告に帰属したというべきである。

したがって、本件預金は本件保険料の所有者である原告の負担においてされたものであり、本件預金の原資(本件保険料)の出捐者は原告であるというべきである。

(二)  次に、仮に、本件保険料は封金と同様の性質を有するものではなく、本件保険料は通常の金銭と同様に取り扱われるべきであると解した場合における本件預金の原資の出捐者についても、念のため判断することにする。

このように解した場合には、受任者である矢野建設工業が、保険契約者から本件保険料を収受した時に、本件保険料の直接占有を取得し、本件保険料の所有権を取得したということになる。

しかし、〈1〉矢野建設工業は所有権者ではあるが、実質的にみると、本件代理店契約により原告から付与された権原(原告の代理として保険料を収受する権限ないし受任者たる地位)に基づいて、原告に遅滞なく納付するために(本件代理店契約九条)、本件保険料を保管していたにすぎないのであって、原告の受任者たる地位を離れては所有権者としての保護を受けるに足る独自の実質的又は経済的な利益を有しないこと、〈2〉本件保険料は原告が負担する保険責任の対価であって、原告に帰属すべき性質のものであるから、本件保険料について実質的又は経済的な利益を有するのは原告であること、〈3〉矢野建設工業は、保険料を収受してから原告に納付するまでの間、募取法の定めるところに従い、自己の財産と明確に区分して、本件保険料を保管しなければならず、他に流用してはならないという契約上の義務を課されていたのであって(本件代理店契約六条)、本件保険料に関する実質的な管理をしていたのは原告であることを総合して考慮すると、本件保険料は実質的又は経済的には原告に帰属するというべきことになる。

したがって、本件保険料の所有権は矢野建設工業に属すると解される場合であっても、本件預金は本件保険料の実質的又は経済的な帰属主体である原告の負担においてされたものであり、本件預金の原資(本件保険料)の出捐者は原告であると解すべきことになる。

3  本件預金口座の管理者について

このように、本件預金の原資の出捐者は原告であると解されるが、本件預金口座の管理を行う者が誰であるかということも、本件預金の預金者を確定する上で資するところがあると考えられるので、次に、この点について判断することにする。

矢野建設工業は、本件預金口座の預金通帳及び届出印の所持者として本件預金口座を管理し得る立場にあったが、〈1〉前記のとおり、保険料を収受してから原告に納付するまでの間、募取法の定めるところに従い、自己の財産と明確に区分して、保険料を保管しなければならず、他に流用してはならないという契約上の義務を課されており(本件代理店契約六条)、右義務をより具体化したものとして、〈2〉保険契約者から収受した保険料全額を遅滞なく専用口座に入金しなければならず、また、原告に対して送金する場合等一定の場合以外には専用口座から払戻を受けてはならないという契約上の制限を課されていたのであって(本件事務処理規則一条、一〇条。本件代理店契約六条による引用に係る募取法一二条一項、二項、同法施行規則六条も同旨。なお、本件代理店契約一条二項により、本件事務処理規定は、本件代理店契約と一体を成すものとして矢野建設工業を私法上拘束するものと考えられる。)、このことにかんがみると、矢野建設工業は、原告の事前の包括的な指示に従って本件保険料を原告に納付するまでの間原告のために保管するという目的に必要な限度において、本件預金口座の管理をゆだねられていたにすぎず、本件預金口座を実質的に管理し得る地位を有していた者は原告にほかならないというべきである。

4  このように、原告は、本件預金の原資の出捐者であって、また、本件預金口座を実質的に管理していた者であるということにかんがみると、本件預金の預金者は原告であって、本件預金債権は原告に帰属するというべきことになる。したがって、被告の本件相殺の意思表示にもかかわらず本件預金債権は消滅しておらず、預金債権者たる原告が平成九年五月七日ころ被告に対し本件預金の払戻を請求したことにより、本件預金債権の弁済期が到来し、預金払戻請求権が発生したというべきことになる。

なお、本件では、本件預金口座の名義である「富士火災海上保険(株)代理店矢野建設工業(株)矢野繁樹」が何人を表示するものであるかという点についても当事者間に争いがあるが、前記のとおり、預金の原資の出捐者を基準として預金者ないし預金債権者を確定すべきと考える以上、この点について判断を示す必要はないと考えられる。

5  被告は、本件預金債権は矢野建設工業に帰属するとして、次のように主張するので、その当否について検討する。

(一)  まず、被告は、金銭の出捐とは金銭の占有の移転すなわち所有の移転を意味するところ、矢野建設工業が本件保険料を収受する過程において原告が占有を取得する機会は皆無であって、原告は金銭の占有すなわち所有を被告に移転した者ではないことは明らかであるから、原告は本件預金の原資の出捐者には当たらないとし、〈1〉本件預金口座を開設したのは矢野建設工業であり、矢野建設工業が預金通帳と届出印を保管して預金の出納をしていたこと、〈2〉矢野建設工業が保険契約者から本件保険料を収受した段階では占有者たる矢野建設工業にその所有権が帰属し、矢野建設工業がこれを被告に移転して預金したことからすると、本件預金の原資を出捐した者は矢野建設工業というべきである旨主張する。

確かに、金銭の所有権は金銭の占有者に帰属すると解されるのであって、この点に関する被告の主張は正当である。しかし、a本件保険料は封金と同様の性質を有するものであって、その所有権は原告にあると解される上、仮に、本件保険料を封金と同様に取り扱うことができず、本件保険料の所有権は占有者たる矢野建設工業にあるとしても、本件保険料は実質的又は経済的には原告に帰属するものと解されることは前記のとおりであって、いずれにしても、本件預金の原資の出捐者は原告というべきであること、また、b本件預金口座を開設したのは矢野建設工業であり、矢野建設工業が預金通帳と届出印を保管して本件預金の出納をしていたとしても、本件預金口座を実質的に管理していたのは原告であると考えられることは前記のとおりであることからすると、被告の右主張を採用することはできない。

(二)  次に、被告は、原告と矢野建設工業との間の精算手続が残されていること及び本件預金口座には保険契約者への返金分、代理店手数料分、預金利息分等が混在していることからすると、本件預金口座に存する資金が原告に帰属しているとは断定できない旨主張する。

しかし、a精算手続が予定されていることは、原告が本件保険料の所有者であると解しても説明し得るし(この場合、精算手続は所有権移転を伴わない単なる引渡手続ということになる。)、また、b本件預金口座には本件保険料と利息だけが入金されているのであって、代理店手数料等が入金されているわけではなく、本件保険料が原告に帰属することは前記のとおりであるから、被告の右主張を採用することはできない。なお、利息は本来預金者たる原告に帰属すべきものであるが、原告が矢野建設工業に対し利息分を含めて納付を求める場合には、その額が僅少であるにもかかわらず、煩瑣な事務処理手続を必要とすることになって不合理であることから、いわば口座管理の対価として、本件代理店契約上、矢野建設工業が取得することを許されているものである。

(三)  また、被告は、募取法による規制は専用口座の預金が保険会社に帰属する直接の根拠にはならないと解される上、募取法はすでに廃止されており、本件通達及び本件代理店契約の効力は被告に及ばない以上、原告の主張は根拠を欠くものである旨主張する。

まず、a募取法及び本件通達の点につき、募取法の各規定は、同法二四条所定の罰則や同法二〇条一項一号所定の損害保険代理店登録取消処分等と相俟って矢野建設工業が本件代理店契約に基づいて負担する私法上の義務をより確実なものとする事実上の効果を生じていた限度で私法上の効果を有していたといい得ないわけではないものの、本来的には損害保険代理店の公法上の義務を定めるものでしかないから、募取法による規制は専用口座の預金が保険会社に帰属する直接の根拠にならないとする被告の主張は正当である。しかし、すでに判示したところから明らかなように、本件預金の預金者は原告であるという解釈は募取法ないし本件通達を根拠として導かれるものではないから、募取法は廃止されていること及び本件通達に法規範性がないことは、格別右解釈の妨げにはならないというべきである。また、b本件代理店契約の点につき、原告と矢野建設工業との間の内部関係に従って本件預金の預金者が定められたとしても、前記のとおり、被告は預金契約が締結された時点では何人が預金者であるかについて格別の利害関係を有さないのであって、爾後に預担貸等によって利害関係が生じた場合には民法四七八条の類推適用等をもって保護すれば足りるのであるから、このように解することは何ら不当なものではないというべきである。したがって、被告の右主張を採用することはできない。

三  結論

以上によれば、原告の請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

〔口頭弁論終結の日 平成一〇年一〇月一四日〕

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例